「臨床を離れることは、専門性を捨てることなのか」──理学療法士13年目、病院からヘルスケアIT、そして起業へ

This Interview
  • 総合病院で理学療法士として約10年。臨床と並行して研究・学会発表・論文執筆、後輩育成に取り組んだのち、ヘルスケアIT企業へ転職した。
  • 「理学療法士を辞めるか、続けるか」という二択で考えることをやめ、「どこで働くか」ではなく「これまで身につけたものをどう使うか」へ問いを置き換えた。
  • 現在はヘルスケアIT企業に勤めながら合同会社K-Brainを設立し、医療職の自己研鑽支援と医療機関のデータ活用に取り組んでいる。
笠野甲斐さん
Storyteller

笠野 甲斐かさの かい

合同会社K-Brain 代表/ヘルスケアIT企業勤務・理学療法士

保有資格
理学療法士
経験年数
13年目
活動エリア
愛知県を中心とした東海エリア
ウェブサイト
https://ksnk-brain.jp/

理学療法士を目指したきっかけを教えてください

 最初のきっかけは、中学生の頃に職業を紹介する本を何気なくめくっていて、偶然「理学療法士」という仕事を知ったことでした。

 その時点で何か強い原体験があったわけではなく、「こういう仕事があるんだ」と知ったことが始まりだったと思います。

 高校ではパソコン関連を専攻するコースに進みましたが、中学生のときに知った理学療法士という職業がずっと記憶に残っていました。進路を考える時期になって改めてその仕事を意識し、理学療法士を目指すことを決めました。

 振り返ると、高校ではITに触れ、その後は医療の道へ進んだことが、現在の自分の活動にもつながっています。当時はもちろん、後になってこの二つが再びつながるとは考えていませんでした。

これまでのご経歴を時系列で教えてください

 養成校卒業後、総合病院で理学療法士として勤務しました。

 最初の約5年間は臨床に携わりながら、研究、学会発表、論文作成などにも取り組みました。目の前の患者さんへの臨床だけでなく、自分の経験や疑問を整理し、知識として残していくことにも力を入れていた時期です。

 その後、別の総合病院へ移り、約5年間勤務しました。臨床に加えて、後輩の育成や人材育成にも関わる機会が増えていきました。

 理学療法士として約10年間医療機関で働いた後、自分自身の人生や働き方を見直す出来事があり、ヘルスケアIT企業へ転職しました。

 現在はヘルスケアIT企業で働きながら、健康教室などを通じた地域での健康支援にも関わっています。また、これまでの医療現場での経験とITの知識を組み合わせ、医療職の自己研鑽や医療機関の情報活用を支援することを目的に、合同会社K-Brainを設立しました。

現在の活動・お仕事の内容を教えてください

 現在は、ヘルスケアIT企業での仕事を本業としながら、合同会社K-Brainの運営、地域での健康教室、オンラインでの健康支援など、複数の活動に取り組んでいます。

 理学療法士として医療機関の臨床現場に立つことからは離れましたが、健康教室では、運動や身体の見方など、これまで身につけてきた理学療法士としての知識や経験を予防分野で活かしています。

 一方、K-Brainでは、医療現場で働いていた経験と現在のITの知識を組み合わせ、医療職が日々行っている自己研鑽や、医療機関の中に蓄積されている情報を、より活かせる形へ変えていくための仕組みづくりに取り組んでいます。

 一つの仕事だけではなく、それぞれの経験を別の活動へつなげながら働いているのが現在のスタイルです。

活動のなかで大切にしていること・こだわりを教えてください

 大切にしているのは、「学んだことや経験したことを、そのままで終わらせない」ということです。

理学療法士として働いていた頃、自分自身も研究や学会活動など多くの自己研鑽をしてきました。一方で、医療現場では多くの人が日々学び続けていても、その努力や知識が個人の中だけで終わってしまったり、十分に活かされないこともあります。

 今は学んだことを誰かの役に立つ形へ変えるところまでを大切にしたいと考えています。

 これは健康教室でも同じです。専門的な知識を一方的に伝えるのではなく、その方が普段の生活の中で使える形にして届けることを意識しています。

いちばんやりがいを感じる瞬間や、印象に残っているエピソードがあれば教えてください

 医療機関という臨床の第一線から離れた後も、健康教室などで地域の方と関わったときに、「理学療法士として積み上げてきたものは、病院を離れたからなくなるわけではない」と実感できることに大きなやりがいを感じています。

 臨床とは形が違っていても、身体の状態を捉える視点や難しい内容をその方に合わせて説明する力など、理学療法士として身につけたものは現在も活きています。

 また、医療現場を経験した自分がITの知識を身につけたことで、以前は「個人が頑張って学ぶ」だけだった自己研鑽についても、その成果を残したり、現場へ還元したりする方法を考えられるようになりました。

 異なる経験が後からつながり、自分なりの形で医療や健康に還元できていると感じる瞬間に、現在の活動の意味を感じています。

理学療法士として積み上げてきたものは、病院を離れたからなくなるわけではない

Q5 やりがいを感じる瞬間

現在の道に進むことになった転機・きっかけは何でしたか?

 大きな転機になったのは、身近な人の死や、自分自身の心身の不調を経験したことです。

 それまでは理学療法士として臨床、研究、人材育成に取り組み、その延長線上に自分のキャリアが続いていくものだと考えていました。

 しかし、一度立ち止まらざるを得ない経験をしたことで、「このまま同じ働き方を続けることが、自分にとって本当に望む人生なのか」と考えるようになりました。

 そこで初めて、医療への関わり方は医療機関の中で理学療法士として働くことだけではないのではないか、と考えるようになりました。

 自分が以前から興味を持っていたITの分野にも改めて目を向け、最終的にヘルスケアIT企業への転職を選びました。

これまでで最も困難だったこと(壁)は何でしたか?

 一番大きかったのは、約10年間積み上げてきた理学療法士としてのキャリアから離れることへの迷いだったと思います。

 臨床だけでなく研究や人材育成にも取り組んできたため、それまで積み上げてきたものを手放してしまうような感覚もありました。

 また、当時の自分には「理学療法士として働くなら医療機関で働く」という考えが強く、それ以外の選択肢を十分に知りませんでした。

 だからこそ、違う業界へ進むことは単純な転職というより、自分がこれまで築いてきた専門性や、自分自身の価値をどう捉え直すかという問題でもありました。

その困難をどのように乗り越えましたか?

 「理学療法士を辞めるか、続けるか」という二択で考えることをやめたことが大きかったと思います。

 勤務する場所や職種が変わっても、約10年間の臨床で身につけた考え方や、人との関わり方、身体を見る視点までなくなるわけではありません。

 そう考えられるようになってからは、「どこで働くか」よりも「これまで身につけたものを、これからどう使うか」を考えるようになりました。

 実際にIT企業へ転職して病院の外から医療を見ることで、現場にいた頃には気づかなかった課題や可能性も見えるようになりました。

 現在の健康教室やK-Brainでの活動も、その延長線上にあります。過去のキャリアを捨てたというより、使い方を変えたと捉えています。

振り返って「あの時こうしておけばよかった」と思うことはありますか?

 基本的に大きな後悔はありません。

 臨床、研究、人材育成、IT企業への転職など、それぞれの経験が今につながっていると感じているからです。

 もし一つ挙げるとすれば、もっと早い段階で「道は一つではない」と知ることができていたら、さらに多くの選択肢を見ることができたのではないかと思います。

 学生時代から医療職として働くまで、どうしても医療・福祉の世界の中でキャリアを考えることが多くなります。

 自分自身もそうでした。

 もっと早く違う業界や働き方を知っていれば、必ずしも転職していたという意味ではありませんが、自分で選択しているという感覚は、より持てていたかもしれません。

今後の目標・挑戦したいことを教えてください

 一つは、合同会社K-Brainの活動を通じて、医療職が行っている自己研鑽そのものに、より大きな価値を持たせられる仕組みをつくっていくことです。

 医療職には、勤務時間外も含めて学び続けている方がたくさんいます。その努力が個人の中だけにとどまるのではなく、現場へ還元され、組織側からも価値として捉えられる環境をつくっていきたいと考えています。

 また、医療機関の経営が安定してこそ、人材育成や職員の努力を評価する余地も生まれると考えているため、医療現場の情報やデータをより活かせる仕組みづくりにも取り組んでいきたいです。

 もう一つは、自分自身が健康教室やオンラインでの健康支援を続けることです。

 医療機関で常勤の理学療法士として働くことだけが、資格や経験を活かす方法ではありません。副業や兼業も含め、生活や環境に合わせながら理学療法士としての知識や経験を社会に還元する方法があることを、自分自身の活動を通じても示していければと思っています。

オフィスでの笠野甲斐さん
ヘルスケアIT企業に勤めながら、合同会社K-Brainを運営している

その目標に向けて、いま具体的に取り組んでいることはありますか?

 現在は、K-Brainで医療職の自己研鑽を支援する仕組みや、医療機関が持つ情報を活用するための取り組みを進めています。

 同時に、地域での健康教室やオンラインでの健康支援など、自分自身が直接人と関わる活動も継続しています。

 ITだけ、医療だけ、事業だけと分けるのではなく、自分がこれまで経験してきたものを組み合わせながら、実際に役立つ形へ変えていくことを現在の取り組みとしています。

キャリアに悩む後輩の理学療法士へメッセージをお願いします

 キャリアに悩んでいるときほど、「理学療法士として何をするか」だけではなく、「自分は何を大切にして働きたいのか」を一度考えてみてほしいと思います。

 臨床を続けることも一つの道ですし、研究や教育へ進むことも、違う業界に出ることも、副業や地域活動で専門性を活かすことも選択肢だと思います。

 私自身、以前は理学療法士として積み上げたものは医療機関の中で使うものだと思っていました。

 しかし実際には、勤務する場所が変わっても、患者さんの話を聞く力、問題を整理する力、身体や生活を捉える視点、相手に合わせて説明する力など、理学療法士として身につけたものは多くの場面で残っています。

 キャリアを変えることは、それまでの専門性を捨てることとは限りません。

 今いる場所が合っているなら、そこで積み上げればいいと思います。一方で悩んでいるなら、「今見えている道だけがすべてなのか」と、一度外にも目を向けてみてほしいです。

キャリアを変えることは、それまでの専門性を捨てることとは限りません。

Q12 後輩へのメッセージ

学生や若手のうちに「やっておくべき」と思うことがあれば教えてください

 医療とは違う世界を知る機会を、意識してつくってほしいと思います。

 医療系の学生は、実習という形で社会に出る経験がありますが、その多くは病院や施設など医療・福祉の世界の中で完結します。

 就職後も同じ環境にいると、それが社会全体の標準のように感じてしまうことがあります。

 もちろん臨床や専門分野を学ぶことは非常に大切です。

 ただ、それと同時に、違う業界で働く人と話したり、医療とは関係のない分野を学んだり、別の働き方を知ったりする機会もつくってほしいと思います。

 外の世界を知ったからといって、医療から離れる必要はありません。

 むしろ外を知ることで、改めて理学療法士という仕事の価値や、自分が身につけている専門性に気づくこともあると思います。

 選択肢を持つためには、まず選択肢が存在することを知る必要があります。

合同会社K-Brain
Interviewee

笠野 甲斐(かさの かい)

合同会社K-Brain 代表/ヘルスケアIT企業勤務・理学療法士

愛知県を中心とした東海エリアで活動。総合病院2施設で理学療法士として約10年間勤務し、臨床と並行して研究・学会発表・論文執筆、後輩育成に携わる。その後ヘルスケアIT企業へ転職。現在は同社に勤務しながら合同会社K-Brainを設立し、医療職の自己研鑽・アウトプット支援、医療機関の院内データ活用、AI活用の入口設計、健康教室や講師活動などに取り組んでいる。

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この記事を書いた人

  • 向井崇敏

    向井崇敏
    理学療法士 / パーソナルジム経営者

    ASAP株式会社代表取締役。病院・訪問など医療介護現場にて勤務したのちに独立。2020年に「骨格から美ボディづくり」をコンセプトとしたB.E.Tパーソナルジムを設立。現在はトレーナー教育&パーソナルジム開業コンサルティング事業「THE STORY」を運営。

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